100周年記念情報

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鬼志別小学校の歴史 第11回〈完〉

鬼志別小学校の歴史第10回目は、2010年代~現在です。

 

2011年(平成23年)、鬼小は90周年を迎えます。

当時の日本は、3月に東日本大震災が発生し、全国で「東北復興」を掲げ、歩んだ1年でした。

 

そんな2011年の修学旅行で「鬼小の伝統!?」と思った写真を見つけたので、紹介します。

 

 

一見、科学館の鹿角帽子を体験しているように見えますが・・・次の写真をどうぞ!

 

この2枚の写真は、2010(平成22年)の修学旅行の写真です。

同じ場所、同じ鹿角帽子をかぶった写真。かぶりたくなりますよね?同じ写真で微笑ましいです。

 

10年後の2020年(令和2年)。世の中は、新型コロナウイルスの流行に伴い、大きく変わりました。

写真のように、日常でもマスク着用が当たり前になりました。

運動会の鬼小ソーランは、マウスシールドを使い、実施しました。

  

学芸会は、参観日と合わせ、学芸参観日として実施しました。

6年生は「君の心は。~Your Mind~」と題し、現実世界とリンクした、マスクの日常を主題に劇を発表しました。

 3月~5月に臨時休校になりながらも、withコロナの1年を無事に過ごすことができました。

 

そして、現在2022年(令和4年)3月24日。本日、令和3年度が無事終了しました。

2021年度(令和3年度)に鬼志別小学校は創立100周年を迎えました。

シンボルテーマにスローガン、モザイクアートと子どもたちが100周年を祝ってくれました。

式典や祝賀会は行えませんでしたが、とても素晴らしい100周年になったと思います。

 

10月より更新を続けてきました「鬼志別小学校の歴史」は、本記事で最終回になります。

記事を見て、寄付やメールをいただきました。お礼申し上げます。ありがとうございました。

2022年度から、鬼志別小学校は新たな歴史を刻んでいきます。

大変厳しい世の中ではございますが、OB・OGの皆様、地域の皆様、引き続き力添えいただければと思います。

101年目の鬼志別小学校もどうぞよろしくお願いいたしします

 

OB・OGの皆様からの思い出を、メールにておよせ下さい。

メールアドレス【onishibetsusho@school-sarufutsu.jp

鬼志別小学校の歴史 第10回

鬼志別小学校の歴史第10回目は、1990年代~2000年代です。

1991年(平成3年)に70周年、2001年(平成13年)に80周年を迎えました。

 

昭和から平成と、鬼小はまた1つの年号をまたぎました。

記録を遡っていると、今も校舎に飾られているこちらの絵の制作風景が残っていました。

この絵は、第69回卒業制作「翔」です。

背景の赤やオレンジが力強さを感じさせ、題名の通りまさに「翔」けていく様子が感じられます

卒業生が、協力して、そして楽しく創り上げていたことが写真から分かります。

 

行事では、親子レクが盛んに行われていたようです。

2006年(平成18年)の親子レクは、宗谷ふれあい公園で行っていました。

自炊も行い、友達と家族で食事を楽しみました。

写真は、2008年(平成20年)の地域の仮装盆踊り大会です。

タイトルは「鬼太郎と妖怪たち」。ゲゲゲの鬼太郎をテーマに仮装しました。

14年前、鬼といえば「ゲゲゲの鬼太郎」で、今の鬼といえば「鬼滅の刃」。

なんだか流行の変化が分かりますね。

 

次回、いよいよ『鬼志別小学校の歴史』は最終回になります。

約半年間のご愛読ありがとうございました。

次回の更新をお待ち頂ければ幸いです。

 

OB・OGの皆様からの思い出を、メールにておよせ下さい。

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モザイクアートが完成しました!

令和3年度後期児童会が、創立100周年を記念した作品を全校児童で作ろうと計画してから約半年。いよいよ完成しました。

1~6年生にシール台紙128枚と8色のシールが配布されたのは、1月下旬。

2月中旬に、全学年から回収し、文字の修正や貼り合わせを行い、28日に無事に完成しました。

貼ったシールの大きさは直径8mm。貼った総数はなんと3万枚を超えます。完成品はこちら。

100周年記念ジンボルマーク、100周年記念スローガンを入れ込み、浮かび上がるは鬼小校舎。

全校で創り上げた力作です。

作品は、体育館の暗幕前の金網に掲示しています。

 

児童会の皆さん、児童の皆さん、ステキな作品になりましたね!!

お疲れ様でした。

鬼志別小学校の歴史 第9回

鬼志別小学校の歴史第9回目は、1970年代~1980年代です。

1981年(昭和56年)に、鬼小は60周年を迎えました。

翌年1982年(昭和57年)に、新校舎に引っ越しをし、新校舎落成式と60周年記念式典を同時開催しました。

写真は当時の鬼小。

50周年記念式典には、在学生だけではなく、60周年を共に迎えた中学1年生も参加しました。

式典では、同窓会からタイプライターと集会用テントが寄贈されたり、鼓笛の発表もありました。

前菜や飲み物を片手に、昔の思い出を話しに大いに盛りあがったことでしょう。

第59回生の小沢昌裕さんは60周年記念誌に次のように書かれています。

「旧校舎は冷たい風が吹き抜け、冬には窓のすき間から雪が入り、うず高く積もっていることもありました。机や椅子、その他の諸設備もあまり良い物でありませんでしたが、そのひとつひとつが言いつくせない思い出がぬりこめられています。しかし、この度落成された校舎は違います。僕達が過ごした時の様に、寒い思いをすることはありません。各設備も整っています。良い環境の中で生活し、学習ができる児童は幸せです。新校舎に入ることができなかった卒業生の分まで、学習に運動に励んで下さい。そして、新校舎にふさわしい鬼小の伝統を築き上げ、後輩に引き継いでいくようにしてください。」

旧校舎の様子と新校舎で勉学に励む後輩達への温かいメッセージです。

 

 

写真は、1977年(昭和52年)の修学旅行の様子です。

上川町のホテル朝陽(現層雲峡朝陽亭)に宿泊しました。

旭山動物園で動物を見に行ったり、遊園地のアトラクションに乗ったりと楽しく過ごしたようです。

この頃の旭山動物園は動物よりも遊園地の方が魅力的で、1983年(昭和58年)には、過去最高の入園者59万8千人を記録し、一時のピークを迎えていたようです。(出典:旭川市あさひやまどうぶつえんサイト〔https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/2200/p008759.html〕より)

 

次は、1980年(昭和55年)の運動会です。

障害物競走のパン食いの様子です。今ではあまり行われなくなりましたが、調べてみると起源は古く、1874年(明治7年)築地の海軍兵学寮や1896年(昭和29年)の札幌農学校で行われていたと言われています。(出典:株式会社カメリヤ〔https://camelia.co.jp/magazine/knowledge/241〕より)

 

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鬼志別小学校の歴史 第8回

鬼志別小学校の歴史第8回目は、1969(昭和44年)~1974年(昭和49年)です。

1971年(昭和46年)に、鬼小は50周年を迎えました。

写真は当時の鬼小(正面)です。当時は現在の役場の裏辺りに校舎がありました。

 

50周年記念式典には、多くの方が参加され体育館でお祝いを行いました。

写真からは、思い出を懐かみ式典をたのしむ様子がうかがえます。

式典では、鼓笛も披露されました。

50周年記念誌には、当時5年生だった真坂潤一現猿払村教育長の作文が掲載されていました。

作文には、お父さんも鬼小の出身であり、「親子で先輩後輩の関係であることがうれしい」と書かれていました。過去50年間たくさんの卒業生がおり、笠井村長(当時)はじめ多くの方々が村のために尽力されていることを知ったそうです。

 

それから、50年後。今鬼志別小学校に通う子どもたちが、未来の猿払村のために活躍してくれればいいなと思う、担当者でした。

 

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鬼志別小学校の歴史 第7回

鬼志別小学校の歴史第7回目は、1956(昭和31年)~1961年(昭和36年)です。

昭和31年から、今ではおなじみの、ある行事が記録に残っていました。

 

修学旅行です。写真は、1958年7月のものです。

同年から修学旅行は学校行事の中の教育活動の一つとして位置づけられ、初めて全国的に法規上明確なものになりました。

そんな1958年の鬼小の修学旅行は、小樽市、札幌市で行われた北海道大博覧会に出かけました。

札幌会場は約260万人、小樽会場は約160万人と大盛況だったようです。

 

写真は、中島公園の菖蒲池の前で撮った写真です。

他にも、雪印アイスクリームや森永キャラメルなど現在でも親しまれているものが出店にありました。

また、科学館や美術館など様々な施設もあり、当時の猿払では味わうことの出来ない楽しい修学旅行だったと思います。

 

どの写真も笑顔でいっぱいでした。

 

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鬼志別小学校の歴史 第6回

 

鬼志別小学校の歴史第6回目は、1952(昭和27年)~1955年(昭和30年)です。

昭和27年、グラウンドに鉄棒が設置されました。鬼小は今年、グラウンド改修に伴い、鉄棒が新設されました。新しい鉄棒も、今後の鬼小と歩むことになります。

昭和29年3月には1・4・6年生教室に放送スピーカーが設置されました。放送スピーカーの普及は、1937年頃から都市部の大規模校で取り付けが開始されましたが、1941年の調査では、全体の34%でした。この背景を踏まえると、鬼小は比較的早い時期の取り付けでした。(出典:日本ラジオ博物館【https://www.japanradiomuseum.com/education1.html】)

昭和30年10月には、水道も取り付けられました。昭和32年(1958年)時点で、水道の全国普及率41%でした。これも放送スピーカー同様、早い普及と言えるでしょう。(出典:株式会社ジャパンウォーター【https://www.japanwater.co.jp/concession/basic/basic2】より)

 

写真は、昭和27年に行われた村内陸上競技大会(左)と野球大会(右)で鬼小が優勝した時の記念写真です。現在は、村内で運動大会は行われていません。感染症拡大で、なかなか祭りや催し物が開催できないこのご時世ですが、早く村内みんなで楽しめるイベントが行えるようになるといいですね。

 

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鬼志別小学校の歴史 第5回

鬼志別小学校の歴史第5回目は、1946(昭和21年)~1951年(昭和26年)です。

昭和22年に全国的に学校給食が開始され、鬼小も昭和23年に開始されました。当時は、牛乳ではなく、粉乳でした。

学校では、書道部や絵画部といった課外文化活動が活発であり、校外から講師を招いて活動していたようです。

外には、広く明るい運動場もあり、体育ではドッジボールを行い、行事では中学校と合同で運動会を行ったそうです。昔から行われていた野球も活発に行われていたようです。

そして、昭和26年に創立30周年を迎えました。11月に祝賀会と祝賀芸能会を実施し、12月にはピアノが寄贈され、30年という節目を明るく迎えました。

写真は、創立30周年記念の様子です。

 

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100周年記念横断幕

学校前に100周年記念横断幕が設置されました。

横断幕に描かれているシンボルマークとスローガンは、前期児童会が募集し、厳しい審査のもと選ばれたものです。

シンボルマークは、6年生のM.Hさんが考えました。「学校」「100」「手をつなぐ」「歴史」などマークの中に色々な要素が含まれており、「これからも未来に向けてみんなで手を取りあっていこう!」という思いにぴったりです。

スローガン『仲間と共に花を咲かせよう』は、6年生のT.Yさんが考えました。「みんなで協力して、さらに明るくて元気な鬼小にしていこう」という思いを込めたスローガンです。

登校時にはなかった横断幕に、下校直前の子どもたちはビックリ。

カメラを向けたら、横断幕と共に写真に写ってくれました。

 

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鬼志別小学校の歴史 第4回

鬼志別小学校の歴史第4回目は、1931(昭和6年)~1941年(昭和16年)です。

昭和6年1月、小石に特別教授場が開設されました。

また、同じ時期に学校にラジオが取り付けられました。

昭和8年9月には、全猿払水泳大会が猿払川河口仮設プールで行われました。昭和7年に行われたロサンゼルスオリンピック大会での日本選手の活躍に刺激され、有志により実施されたようです。

同年12月には知来別・浜鬼志別・鬼志別間に電話回線が完成し、鬼小にも架設されました。

昭和12年には、5学級編成になり、1教室増設されました。

↑1934年(昭和9年)南宗谷児童陸上大会の集合写真

↑1935年(昭和10年)ラッパ鼓隊集合写真

↑1941年(昭和16年)学芸会の様子

 

【この間の出来事】

1934年(昭和9年) 宗谷地方、鰊の大漁

1939年(昭和14年) インディギルガ号の事故

 

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鬼志別小学校の歴史 第3回

鬼志別小学校の歴史第3回目は、1929年(昭和4年)です。

この年に、「中鬼志別尋常小学校」から「鬼志別尋常高等小学校」に改称されました。

また、芦野に特別教授場が開設され、学びの場が増えました。

夏は、川で水泳や魚釣り、冬は学校の裏山でスキーやソリを楽しんでいたようです。

また、当時の田島校長が朝4時頃にホラ貝を吹いて起こし、5時までに校庭を集合した後、体操やグラウンドを走るという朝起き会という行事もあったようです。

この年は、高等科は27名、尋常科も23名の計50名が卒業しています。

【この年の出来事】

・4月阪急百貨店開店

・6月駒ヶ岳噴火

 

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鬼志別小学校の歴史 第2回

鬼志別小学校の歴史第2回目は、1926年(大正15年)です。

この年は12月に、昭和に改元され、国として変化が起こった年ですが、中鬼志別尋常小学校にとっても大きな変化がありました。

1つ目は、高等科が設置され、三学級編成から四学級編成になりました。

2つ目は、玄関・屋内練習場・裁縫室・便所・廊下と校舎が増築され、10月には、落成祝賀会も行われていたようです。

下は、第5回卒業生(尋常科)の写真です。

この年は、高等科は13名、尋常科も13名の計26名が卒業しています。

【この年の出来事】

・5月十勝岳噴火

・8月集英社設立

 

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鬼志別小学校の歴史 第1回

本日より、鬼志別小学校の歴史を写真で振り返ります。

下は、1923年(大正12年)7月、当時開校3年目の全校写真です。

当時は、「鬼志別小学校」ではなく、「中鬼志別尋常小学校」という名称でした。

校長は、第2代田島盂先生。大正11年から昭和16年まで務められました。

また、村名は宗谷村であり、この冬に分村が決定。翌年の1月1日より猿払村に施工しました。

写真には、約120人の児童が写っています。学級は三学級編成でした。

昭和2年卒の第6回生の方によれば、通学の道路もなく、下駄・草履・裸足で不倒木を渡って、玄関にたどり着いていたようです。(出典:鬼志別小学校校舎改築落成創立六十周年記念誌(1982))

【この年の出来事】

・9月関東大震災

・10月ウォルト・ディズニー・カンパニー創立

 

OB・OGの皆様からの思い出を、メールにておよせ下さい。

メールアドレス【onishibetsusho@school-sarufutsu.jp

※これまで掲載していたアドレスに不備がありました。正しくは、上記のアドレスです。この投稿以前に掲載していたアドレスも全て訂正しました。申し訳ありませんでした。

開校100周年記念式典について

今年の10月31日に、開校100周年記念式典を行う予定でした。

しかし、新型コロナウイルスの影響を鑑み、感染拡大防止のため、記念式典を実施しないこととなりました。

OB・OGの皆様にとっては、思い出ある鬼志別小学校で、旧交をあたためる貴重な機会となるはずでした。

しかしながら、道内のみにならず、全国各所から人が集まることは、感染拡大につながると考え、式典を実施しない決断をいたしました。

 

OB・OGの皆様には、開校100周年に対する思いや当時の思い出などをぜひメールにておよせ下さい。皆様の声は、個人情報を保護した上で、記念誌などに掲載する予定です。

メールアドレスはこちら。【onishibetsusho@school-sarufutsu.jp

よろしくお願いします。

 

開校100周年記念ページ開設

 

2021年(令和3年)5月28日をもちまして、本校は開校100周年を迎えました。

1921年(大正10年)に民家を借りて2学級で開設され、

これまでに卒業生は2,194名に及びます。現在は76名の児童が通っています。

大正、昭和、平成、令和と4つの元号を跨ぎ、新たな歴史を歩む鬼志別小学校。

本ページでは、現在小学校に携わっている保護者の皆様に加え、本校を卒業されたOB・OGの皆様、地域の皆様に100周年に関わる情報を随時更新していきたいと思います。